タレント宮地佑紀生さん死去 77歳 名古屋弁トークで愛された“午後の顔”

名古屋を拠点に長年活躍したタレントでラジオパーソナリティーの宮地佑紀生(みやち・ゆきお、本名・由紀男)さんが、2026年1月10日、骨髄異形成症候群のため亡くなった。77歳だった。所属事務所のサンデーフォークプロモーションが2月9日、公式ホームページで発表した。葬儀は近親者のみで執り行われ、2月26日に名古屋市内で「お別れの会」が予定されている。

宮地さんは1949年1月9日、名古屋市中区に生まれ、25歳の1974年からラジオパーソナリティーとして活動を開始した。軽妙で親しみやすい名古屋弁のトークが特徴で、東海地方を中心にラジオ、テレビ、CMなどで幅広い層から支持を集めた。特に東海ラジオの長寿番組「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」(1997年開始)では“名古屋の午後の顔”として親しまれ、地元メディアの象徴的な存在となった。また、ラーメンチェーン「スガキヤ」のCMで繰り返し流れた「もっと食べてみや~ち♪」のフレーズは、名古屋の食文化を象徴する名言として多くの人に記憶されている。

タレント宮地佑紀生さん死去 77歳 名古屋弁トークで愛された“午後の顔”
タレント宮地佑紀生さん死去 77歳 名古屋弁トークで愛された“午後の顔”

目次

経歴とラジオでの活躍

宮地さんは名古屋市中区出身。1974年にラジオパーソナリティーとしてのキャリアをスタートさせ、東海ラジオの「ミッドナイト東海」や「どんどん土曜大放送」などを担当した。名古屋弁を活かしたユーモアあふれるトークスタイルがリスナーの心をつかみ、1997年から始まった「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」では長期間にわたりパーソナリティーを務めた。この番組は平日午後の時間帯に放送され、日常的な話題から地元ネタまでを軽快に扱い、東海地方のリスナーに欠かせない存在となった。

ラジオ以外でも活躍の場を広げ、テレビではメ〜テレ(名古屋テレビ)の朝のワイド番組「どですか!」で2002年から9年間メインパーソナリティーを務め、朝の顔としても地域を盛り上げた。俳優としてもドラマ「中学生日記」や「黄金鯱伝説グランスピアー」などに出演し、多才ぶりを発揮した。

スガキヤCMと名古屋文化への貢献

特に印象深いのは、スガキヤのCMキャラクターとしての役割である。「もっと食べてみや~ち♪」というキャッチーなフレーズと名古屋弁のナレーションは、世代を超えて親しまれ、名古屋のローカルCMの代表例となった。このCMは地元チェーン店のイメージを強く印象づけ、食文化のPRにも寄与した。宮地さんの声とトークは、名古屋の日常風景の一部として定着していた。

また、ミュージシャンとしても活動し、バンド「無有」での楽曲「名古屋っ子」など、地元愛を歌った作品も残している。

晩年の活動と新たな挑戦

宮地さんは72歳となった頃、新たな挑戦としてYouTubeチャンネルを開設。晩年も精力的に活動を続け、ファンとのつながりを維持した。地元メディアを中心に活躍し続けた姿勢は、多くの後輩タレントやリスナーに影響を与えた。

一方で、2016年には東海ラジオの生放送中に共演者への暴行事件が発生し、一時活動を自粛した過去もあるが、その後復帰し、イベント出演などを通じて再び公の場に姿を見せていた。

死去の発表と今後

所属事務所の発表によると、宮地さんは2026年1月10日に骨髄異形成症候群により逝去。享年77歳(一部報道では享年78歳と表記されているが、生年月日から計算すると77歳が適切)。訃報は約1ヶ月後の2月9日に公表された。お別れの会は2月26日午後1時から4時まで、名古屋市中区のSPADE BOXで開催予定で、献花台が設けられる。香典・供花・供物は固く辞退されている。

宮地佑紀生さんの死去は、東海地方の放送界に大きな喪失をもたらした。名古屋弁の温かみとユーモアで地域の人々を楽しませ続けた彼の存在は、これからも多くの人の記憶に残るだろう。今後、地元のラジオやメディアがどのようにその遺産を引き継いでいくのか、注目される。

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